「先生、えこひいき!」「○○ちゃんばっかりずるい!」——授業中や休み時間、子どもからそんな言葉を投げつけられて、胸がチクッとした経験はありませんか。
自分ではそんなつもりはまったくない。むしろクラスのことを一生懸命考えて動いているだけなのに、「ずるい」と言われると、まるで自分が悪いことをしていたみたいな気持ちになりますよね。その日の夜、布団の中で「私、本当にえこひいきしてたのかな」とぐるぐる考えてしまう。新任の先生ほど、この一言に深く傷つきます。
結論から言います。手のかかる子に手をかけるのは、えこひいきではありません。それは教師として正しい判断です。ただし、子どもの目には「不公平」に見えてしまう——ここにこの問題のすべてが詰まっています。今日はこの「見え方のギャップ」をどう扱うか、居酒屋でこっそり話すくらいの温度感でお伝えします。
「えこひいき」と言われて傷ついたあなたへ
まず、ここに気づいてほしいんです。あなたが「えこひいきって言われちゃった…」と落ち込んでいるのは、子ども一人ひとりを公平に見ようと本気で思っているからです。どうでもよかったら傷つきません。その悩みそのものが、あなたが誠実な先生である証拠なんですよ。
新任のうちは、子どものこの手の言葉を真正面から100%受け止めてしまいがちです。「ずるい」と言われたら「私が間違っていたんだ」と即座に反省モードに入る。優しい人ほどそうです。でも、子どもの「ずるい」は、大人が思う「不正をしている」という意味とは少し違うことが多い。そこを切り分けないと、必要以上に自分を責めてしまいます。
だから最初に伝えたいのは、「ずるい」と言われたからといって、すぐに自分の関わり方を全否定しなくていいということ。傷ついた気持ちはいったん横に置いて、まずは落ち着いて「平等」と「公平」の違いから整理していきましょう。これが分かると、心がずいぶん軽くなります。
平等と公平は違う――手をかけるべき子に手をかけるのは、えこひいきではない
「平等」と「公平」。似ているようで、まったく別のものです。
- 平等=全員にまったく同じことをする(同じ量・同じ回数・同じ言葉)
- 公平=その子に必要なものを、その子に合わせて渡す
よく使われるたとえがあります。背の高さがバラバラの三人が塀の向こうの試合を見ようとしている。全員に同じ高さの台を一つずつ渡すのが「平等」。でも一番背の低い子は、それでもまだ見えません。背の低い子には台を二つ、高い子には台なし——こうして全員が試合を見られる状態にするのが「公平」です。
教室はまさにこれです。何度説明しても伝わりにくい子に、もう一度かみ砕いて説明する。気持ちが崩れやすい子に、先に声をかけて様子を見る。これは特定の子を「ひいき」しているのではなく、その子がスタートラインに立つために必要な手を、必要なぶんだけかけているだけです。
手のかかる子に手間がかかるのは当たり前で、そこに手をかけるのは教師の仕事そのものです。特定の子に目が向きやすくなる構造については、特定の子に手がかかってしまうときの目配りの話でも触れているので、あわせて読んでみてください。「全員に同じだけ」を機械的にやることが正義なのではない、というのがまず大前提です。
でも子どもには「不公平」に見える――その見え方のギャップ
ここが今日いちばん大事なところです。あなたの対応が公平であることと、子どもにそう「見える」ことは、別の問題です。
子どもは、教師の頭の中にある意図を読めません。あなたが「この子は今しんどそうだから先に声をかけよう」と考えていても、周りの子に見えているのは「先生はあの子にばかり話しかけている」という事実だけ。背景の事情は見えず、回数や順番という目に見える部分だけがカウントされていきます。
つまり、あなたが公平であることと、子どもがそれを公平だと感じることの間には、必ずギャップがある。これは避けられません。だからこそ「えこひいきだ」という声は、あなたが間違っているサインではなく、「見え方への配慮がもう一段必要ですよ」というサインとして受け取るのが正解です。
ここで多くの新任がやってしまう失敗があります。「不公平に見えるなら、もう手をかけるのをやめよう」と、必要な支援まで引っ込めてしまうこと。これは次の章で、私自身の苦い経験として正直に話します。
萎縮して支援を引っ込めると、もっとこじれる
新任の頃の話です。私のクラスに、感情が高ぶると教室を飛び出してしまう子がいました。落ち着くまで廊下で一緒にいたり、朝のうちに少し話を聞いたり。私としては当然の対応のつもりでした。
ところがある日、別の子から「先生、○○くんにばっかり優しいよね」と言われたんです。一人が言うと連鎖して、「ずるい」「えこひいき」という声がぽつぽつ出てきた。あのときの、足元が崩れるような感覚は今でも覚えています。一生懸命やっていたことを否定された気がして、頭が真っ白になりました。
それで私は、間違った方向に走ってしまった。「じゃあ、あの子にだけ特別なことをするのはやめよう」と、声かけも、廊下で一緒にいることも、ぐっと減らしたんです。表面上は「全員平等」にしたつもりでした。
結果は最悪でした。支援が薄くなったその子は前より頻繁に荒れるようになり、教室の空気もどんどん悪くなった。「ずるい」と言っていた子たちの不満も、なぜか収まらない。私はただ縮こまっただけで、誰の役にも立っていなかった。夜、何が間違っていたのか分からなくて、ずっとモヤモヤしていました。
それからも毎年いろいろな子を担任する中で、同じような空気の場面に何度か出会いました。そうやって数年重ねて、3年目あたりでようやく腑に落ちたんです。あのとき支援を減らしたことが間違いで、本当に足りなかったのは「他の子の不満をすくい上げること」だったと。支援は引っ込めるものではなく、続けたまま、見え方のケアを足し算するものだったんですね。縮こまった私を見て、子どもたちはきっと不安だったんだと思います。
「ずるい」の裏にある本音を読む
あの失敗のあと、子どもの「ずるい」をよく観察するようになって、気づいたことがあります。
「ずるい」「えこひいきだ」と言う子の本音は、たいてい「あの子だけ得をしているのが許せない」ではないんです。その奥にあるのは、もっとシンプルで切ない気持ち——「私のことも見てほしい」「私も認めてほしい」。これがほとんどです。
以前、特定の子にばかり「ずるい」と言ってくる女の子がいました。最初は正義感の強い子なのかなと思っていたのですが、ある放課後、ふとしたきっかけで二人で話したとき、ぽつりと「わたし、最近あんまり先生と話してない」と言ったんです。そのときハッとしました。この子の「ずるい」は、抗議じゃなくて、こっちを向いてほしいというサインだったんだと。
そう思って見ると、「ずるい」という言葉が違って聞こえてきます。それは攻撃ではなく、寂しさの裏返し。だから「ずるくないよ」と理屈で押し返すより、「あなたのことも、ちゃんと見てるよ」と伝わる関わりを増やすほうが、ずっと早く落ち着くんです。子どもの言葉の裏にある背景を読む視点については、教師が自分を責めすぎないための話も参考になると思います。
それでも、自分を正直に点検する
ここまで「あなたは間違っていない」という話をしてきましたが、一つだけ、正直に向き合ってほしいことがあります。それは——本当に無自覚な偏りがゼロか、ということ。
人間ですから、誰にでも「気の合う子」「ちょっと苦手な子」はいます。問題は、それが態度や声かけに無意識ににじみ出ていないか。私自身、点検してみて青くなった経験があります。
あるとき、何気なく一週間、自分が誰にどんな声かけをしたかをメモしてみたんです。すると、明るくて反応のいい子にはやたら「いいね!」「すごいね!」と声をかけているのに、おとなしくて手のかからない子には、ほとんど何も言っていなかった。叱る回数も、特定の子に偏っていました。誰にも指摘されていなかったけれど、私は無自覚に「褒める子」と「スルーする子」を作っていた。これはさすがにこたえました。
大事なのは、「えこひいきと言われた=即、自分が悪い」でもなければ、「私は絶対に公平=点検不要」でもない、ということ。この二つの間に立って、ときどき自分を疑ってみる正直さを持つ。具体的にはこんな問いが効きます。
- 褒める言葉が、特定の数人に集中していないか
- 叱るとき、同じことをしても子どもによって反応の強さが違っていないか
- おとなしくて手のかからない子を、一日まるごと「スルー」していないか
- 「あの子は言っても無駄」と、心のどこかで諦めていないか
必要な子に手をかけることは堂々と続ける。でも、無自覚な好き嫌いの偏りは点検する。この線引きができると、子どもの「ずるい」にも揺るがなくなります。
公平に「見られる」ための具体的な関わり
では、支援は続けたまま、どうやって「見え方」をケアするか。明日から教室でできることを並べます。
全員に、小さな声かけを行きわたらせる
手のかかる子への対応はそのままでいい。足すのは、それ以外の子への「小さな一声」です。「おはよう、今日のその髪型いいね」「昨日のノート、丁寧だったよ」。一人あたり数秒で十分。子どもは『量』より『自分も見てもらえた』という実感で満たされるので、手のかかる子に時間をかけても、全員に一声あれば不公平感はぐっと減ります。
ルールの一貫性を保つ
子どもが本当に「ずるい」と感じるのは、支援そのものよりルールがブレるときです。同じ行動なのに、ある子は怒られてある子は許される。これは一発で信頼を失います。「忘れ物をしたらどうするか」のような共通ルールは誰に対しても同じく運用する。配慮は配慮、ルールはルールと分けるのがコツです。学級の一貫性や主導権の保ち方はなめられないための関わり方にもまとめています。
「説明できる対応」にしておく
自分の対応を、子どもに一言で説明できる形にしておきましょう。「○○さんは今こういう練習をしているところなんだ」「みんなにも必要なときは同じようにするよ」。理由を隠すからこそ「ひいき」に見える。『あなたが同じ状況なら、あなたにも同じことをする』と伝われば、特別扱いは”えこひいき”ではなくなるんです。説明はクラス全体への安心材料になります。
頑張っている子・静かな子をこそ見る
声を上げない子、いつもきちんとやっている子ほど、教師の目から漏れがちです。でもこの子たちこそ、心の中で「私は見てもらえてない」と感じている。意識して名前を呼び、ノートにひとことコメントを残す。手のかかる子と同じくらい、手のかからない子を見る——これが、回り回って「ずるい」の声を一番減らしてくれます。
まとめ
「先生、えこひいき!」という言葉は、刺さります。でも、その一言であなたが縮こまる必要はまったくありません。
覚えておいてほしいのは、平等=全員同じ、公平=その子に必要なものを渡すこと、で、手のかかる子に手をかけるのは公平であって、えこひいきではないということ。ただし子どもにはそれが偏って見えるので、見え方への配慮を足し算する。支援は引っ込めない。引っ込めると、私のように余計こじれます。
そして「ずるい」の裏にある「私も見て」を読み、必要なら自分の無自覚な偏りも正直に点検する。全員への小さな一声、ブレないルール、説明できる対応、静かな子をこそ見ること——この四つが、あなたを「公平に見られる先生」にしてくれます。
子どもに「ずるい」と言われて悩めるあなたは、もう十分にいい先生です。あとは、その誠実さを少しだけ「見える形」にしていくだけ。胸を張って、必要な子に手をかけ続けてください。
ぼぼパパより:私は一度、萎縮して支援を引っ込めて、自分でクラスをこじらせました。今ふり返ると、必要だったのは「やめること」じゃなくて「他の子の寂しさにも気づくこと」だった。公平って、減らす方向じゃなくて、見る相手を増やす方向にあるんですよね。

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